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 日本のロータリアンの多くは、クラブの例会へ出かけ、そこで「いつものように」ロータリー・ソングを皆で歌っていることでしょう。このロータリー・ソングについてご紹介します。
 
「手に手つないで」は外国のロータリアンにも好評(2005年国際協議会にて)
 
初めてのコーラス 
 ロータリーにおいて、一世紀を超える「歌を歌うということ」、を始めた人は、1905年にロータリーが創立したとき、最初に会員となった4人に次いで、5番目にロータリーに入った人、ハリー・ラグルス(Harry Raggles 1871~1959・本誌2005年9月号横組みP26の本欄「ロータリーの先駆者〈海外編〉」でも紹介)です。
 1905年、アメリカのシカゴでロータリーは生まれましたが、その折、創始者ポール・ハリスと、シルベスター・シール、ハイラム・ショーレー、ガスターバス・ローアら4人の集いに加わり、5人目の会員となったのが職業分類・印刷業のハリーでした。
 シカゴロータリークラブ(RC)の会員になったハリーは、ポール・ハリスの評によると一見無愛想で、クラブ入会の紹介時には「果たしてクラブに入って、ロータリーの友好を実現できるだろうか」と内心危ぶまれたほどの人だったようです。実はハリーはもともと歌うことが大好きな人でした。
 もっとも、今世紀初頭の欧米では「歌を歌うこと」「コーラスすること」は、人々のごく一般的な風潮でしたので、彼が特に変わった趣味をもっていた、というわけではありません。
 産声を上げたばかり、1905年のロータリークラブの、ある秋の日の夜の例会について『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』(P30)には、以下のように記されています。
 「1905年のある秋の夜、例会で一時的な静寂が訪れた。会話のざわめきが突然止んだ。警告もなく、ハリー・ラグルスが自ら立ち上がって「おい、みんな、歌おう!」と当時流行っていた歌を何曲か音頭を取って歌った。以来、例会での合唱は、ロータリーの伝統となった」
 これが、ロータリーの例会で歌を歌った最初のシーンです。しかし、このとき歌われたのは、いわゆるロータリー・ソングではなく、当時の流行歌でした。

いつもコーラス
 さて、ロータリー誕生後2年目には、ささいな意見の相違がだんだん大きくなり、シカゴクラブ内が割れ、出席率も低下するという事態が起こったようです。
 そこで、当時シカゴRCの幹事であったウィル R.ネッフ医師が、ハリー・ラグルスと協議しました。「これがもう1か月も続けば、クラブは解散してしまうだろう」とネッフは悲しそうにハリーに言い、続けて「私は、君が毎週立ち上がって楽しく歌うことにしたらどうか、と思う」と言った、というような記録が残っていると、笹部誠パストガバナー(1964-65年度・川崎RC)が『友』誌(初載は1971年4月号、2002年9月号に転載)に記述しています。
 その結果、ハリーの指揮による歌声が、毎回クラブの例会で響くようになり、いつのまにかクラブの中の雰囲気は改善され、シカゴRCは解散の危機を脱していたそうです。歌が、人々の心を結んだのです。
 その後、ハリーの指揮は恒例のものとなりました。再び『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』(P30)から引用します。
「今日でも、シカゴ・ロータリー・クラブの古参会員から話しを聞くことができる。会長が開会の辞を述べると、シャーマン・ホテルの大広間が真っ暗になる。すると暗闇を突き抜けて1本のスポットライトが西側バルコニーの痩せた男に当たる。部屋中が期待に息を呑む中で、ハリー・ラグルスが両手を上げて叫ぶ:「さあ、みんな、歌おう!」そして皆が歌い出すのだ、と。ハリーは所属クラブでも、全米の地区大会でも、国際大会でも歌の音頭を取った。しかし、1959年10月23日、卓話者として招かれたカリフォルニア州カシードラル・シティー・ロータリー・クラブの例会に向かう途中で心臓発作を起こし、54年間にわたりロータリーに歌と太陽をもたらしたその声をもはや聞くことはできなくなった」 
 世にコーラスの風潮はあふれていても、例会という集いの中で定期的に歌を歌うことを、積極的に続ける形式は、当時新鮮なものでした。深い意識はなかったかもしれませんが、シカゴロータリークラブのハリー・ラグルスの行為は、歌という親睦に偉大な効果を発揮する、微妙な結合剤をロータリーに提供したことになりました。
 また、歌われる歌曲もだんだん決まってきたので、印刷業のハリー・ラグルスは、1910年にはロータリー・ソングブックの第1号の出版もしています。以後それは版を重ね、ロータリアン間に普及していきました。

日本では
 日本最初のロータリークラブは、1920年創立の東京ロータリークラブですが、初めのころは「ロータリー・ソング」として英語のまま歌っていたそうです。
当初はアメリカ人会員E.D.バートンが会員に歌を歌わせようとして指導したものの、皆「児戯に類する……」としてあまり乗り気でなかったようです。彼は、日本におけるソングリーダーの草分け的存在でしたが、その努力は1926年ころになってようやく認められ、1927年のインターシティー・ミーティングのときには、会議中にも会議後の観光バスの中でも、会員の家族が中心となってロータリー・ソングが歌われ、会員もやっと、歌うことが親睦の源であると理解した、と東京RCの記録にあります。家族は、日本のロータリーに歌うことを推し進める大きな力となりました。
 やがて、日本語によるロータリー・ソングを求める声が高まり、「奉仕の理想」や「我等の生業」が1935(昭和10)年、京都における地区大会において、日本語ロータリー・ソング入選作として発表されました。戦争中は、「君が代」の斉唱が始まりました。1949年、日本は国際ロータリーに復帰しますが、1951年に ロータリー・ソングが募集され、「手に手つないで」がつくられました。これは、1952(昭和27)年7月から、日本のロータリーが2つの地区に分かれるという事態に当たり、これからも友情を確かめ合い、手に手つないでいこう、と誓い合った歌です。「それでこそロータリー」も古く、1953年に誕生しています。
 こうして、ロータリーの例会では歌を歌うことが習慣となり、この習慣はアメリカの多くのクラブに波及し、今日では、オーストラリア、日本、ナイジェリア、ニュージーランド、カナダなどのさまざまな国のロータリー例会におけるポピュラーな親睦行事となっています。
 国際協議会でも、毎朝、本会議が始まる前に各国で親しまれている歌を皆で歌います。しかし、ヨーロッパ、南米、アジアのロータリークラブの例会でロータリー・ソングが歌われることはあまりないようです。
 歌い方もいろいろで、例会の初めに国歌を歌うクラブもあれば、童謡を必ず歌うところもみられます。
 皆さまのクラブではいかがですか? クラブ独自の歌を作り、歌っているところもあります。

参考文献 デイビッド C.フォワード/日本語訳監修 菅野多利雄『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』2003年、クリフ・ダクターマン『ロータリーのいろは』1992年、『改訂ロータリアン必携』2004年、など国際ロータリー発行の公式文献類、東京ロータリークラブ『東京ロータリークラブ50年のあゆみ』1970年、『ロータリーの友』、『The Rotarian』の各誌など。
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