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ロータリーの定款と綱領のはじまり
 
組織には目的があり、組織が生まれると規則ができる
 
1911年、アメリカ・オレゴン州ポートランドで開催された第2回大会に集まってきた会員たち

 人が集まり、組織ができれば、当然のことながら、規則やその理念といったものが必要になってきます。
 今日、使用しているクラブ定款・細則は、どのようにして定められていったのでしょうか。また、今日、ロータリアンがその拠り所としているロータリーの綱領はどのようにして生まれたのでしょうか。
 『ロータリー日本五十年史』には、

 最初の定款ができたのは1906年1月で、(1)会員の職業上の利益の増進、(2)親交と社交のクラブに普通付帯する望ましい事柄の増進、をその目的としていたが、その年のうちに、(3)シカゴ市の最善の利益を振興し、会員間に市民としての誇りと忠誠の精神を鼓舞することが加えられた。

とあります。
 今月号では、5月に発刊した『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』の文章を借りて、ご紹介します。

定款と細則
 初期のロータリーには細則も定款文書もなかった。1905年来のシカゴのロータリアン、チャールズ A.ニュートンが1927年にこのように書いている。「私たちは自分たちの規則を完全に理解した紳士協定を作成しようとした。会員は公開の会議で、口頭票で選ばれる。一票でも反対票があれば、入会できない。」
 全国的な運営組織のなかった最初の16クラブは、一般に、シカゴ・クラブの定款と細則をそのまま採用していた。法による義務付けがあったためではなく、その方が手っ取り早かったためであった。全米連合会理事会の初回の会合から、役員らは全クラブを拘束する標準的な定款を定める必要性を認識していた。1911年にオレゴン州ポートランドで第2回目の大会が開催される頃には、この問題は緊急の課題となっていた。ロータリーは3カ国に36クラブを有する規模に拡大し、各クラブがそれぞれ独自の定款と細則を掲げていたのである。
 シアトルのJ. E. ピンカム議決案委員会委員長は、ポートランド大会に集まった代表委員を前に、クラブがモデル定款と細則を採用することを議決案委員会は勧告すると報告した。この勧告を受けて、ポール・ハリス全米連合会会長はこれらの文書を作成する委員会を任命した。シアトルのアーネスト L. スキールを委員長とするこの委員会は、一年をかけてモデル定款・細則を草案した。スキールがこれを1912年のミネソタ州ドゥルースでの大会での発表すると、代表委員の圧倒的な支持を受けて採択された。その後数年、定款細則は改訂され、一部は書き直されたが、中心的なテーマは今日も変わらずロータリーを導く道しるべとなっている。
 しかし、定款があるということは、必ずしもすべてのクラブがこれを使い始めたという訳ではない。ロータリアンは実業界の指導者であり、意志決定者であり、規則を課されるよりも、自分で設定するのに慣れていた。
 1915年、国際連合会は、加盟クラブに300の定款があり、したがって目標も300組あることを発見した。ロータリーが目指したのは200の異なる目標や原則に沿う200の異なる組織ではなく、1つの統一された運動になることであった。
 ミネアポリスのアレン D. アルバート1915-16年度国際ロータリー会長は、ロータリー・クラブ国際連合会の定款と細則を起草する委員会の委員長にアーチ・クランフを任命した。クランフは1915年サンフランシスコ大会で委員会の報告書を発表し、代表委員が全会一致でこれを採択した。それから1年のうちに、委員会はもう1組の書類を作成した。各ロータリークラブのモデル定款・細則となるものである。クラブの名称、綱領、会員資格と分類、区域限界、特定の政見支持の禁止など、重要な項目は標準化した。1916年シンシナティ大会の代表委員がモデル定款・細則を採択し、すべての新設クラブにこの採用を義務付けた。「既存のクラブは既得権が認められる(連合会に残ることが許可される)が、地元クラブの定款に今後変更を行う場合は、国際連合会理事会の書面による承諾を得なければならない。」とチェスリー・ペリーがThe Weekly Letter(週報)に書いている。
 国際ロータリー・クラブ連合会の新しい定款で最も根本的な変更は、ロータリーを地区と呼ばれる10の地理的単位に分けたことにあった。これによって、連合会の綱領を推進し、クラブを新設し、既存クラブの利益を増進し、それらを国際連合会理事会の一般的な監督の下で行うために、「地区ガバナー」という新しい肩書きが創出された。90年後の今日も、地区ガバナーは国際ロータリー理事会と地域のロータリアンとの間のリンクとして機能している。永い年月のうちに、ロータリーの定款は何度か改定されたが、文化的あるいは地理的変化に応じて行われた部分的修正を除き、改定は軽微なものであった。

ロータリー要綱とロータリーの綱領
 定款と細則は連合会とクラブが守る規則と手続を定めたが、「ロータリーとは何か? ロータリアンは何を信じているのか?」という基本的な問いかけに答えるものではなかった。こういった中心的価値観は、もともと「ロータリーの宣言」と呼ばれたスピーチ、後に「ロータリーの綱領」に簡潔にまとめられている。
 シアトル・ロータリー・クラブがその信条を定義する要綱を作成したのは、ほぼ発足の当日と言ってよい。同クラブのジェームス・ピンカム、アーネスト・スキール、ロイ・デニーの3名はクラブの方針声明書に手を加え、ポートランドで開催された1911年の第2回年次大会で「ロータリー要綱」案として発表した。5段階から成る声明文は、会員の職業分類制度、公明正大な商取引の公約、奉仕がすべての仕事の基礎であるという考え方を提示した。要綱は「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」という言葉で締めくくられていた。
 ロータリー要綱が採択された1912年8月の同日、代表者たちは連合会の「綱領」も承認した。1906年に採択されたシカゴ・ロータリー・クラブの最初の定款には、次の2つの綱領があった:
1.本クラブ会員の事業上の利益の増大
2.通常社交クラブに付随する親睦およびその他の特に必要と思われる事項の推進
 クラブは年内に3つ目の綱領を付け加えた。
3.シカゴの最大の利益の推進、及び市民の誇りと忠誠とを市民の間に広めること。
 1910年の全米ロータリー・クラブ連合会の第1回大会に出席した代表者たちは、新組織の5つの目標を設定した。
1.クラブの新設
2.全クラブの共通の利益の推進
3.市民としての誇りと忠誠心の奨励
4.高潔なビジネス方法の推進
5.個人会員の事業上の利益の増大
 奉仕の理想への関心が高まるにつれて、ロータリアンは他者を援助する活動への関与を高めていった。1915年のサンフランシスコ大会で、代表者たちは第5の目的を拡充し、第6の目的を付け加えた。
5.地域社会の公共の福祉に対するクラブ会員の関心を高め、かつ、市、社会、商工業の発展のために他の人々と協力すること
6.同僚や社会一般のために奉仕したいという意欲を起こすよう会員を鼓吹すること
 1918年、国際連合会は再び改正を行い、綱領は4点にまとめられた。しかし、クラブとプロジェクトが急激に増大したため、この綱領は間もなく不適切となり、再び6点から成る綱領に改定された。その後、ロータリーは繰り返し、組織自体の定義を微調整し、1951年にその最も重大な最後の変更が行われた。ロータリーには「有益な事業の基礎として奉仕の理想を鼓吹し、これを育成する」という実際ただ1つの綱領があると決定されたのがこの時であった。この崇高な目的を固く前面に 打ち出した後、ロータリアンが綱領を成就する4分野が次のように説明された。
第1 奉仕の機会として知り合いを広めること;
高層ビルが林立するシカゴの街並み
第2 事業および専門職務の道徳的水準を高めること;あらゆる有用な業務は尊重されるべきであるという認識を深めること;そしてロータリアン各自が、業務を通じて社会に奉仕するために、その業務を品位あらしめること;
第3 ロータリアンすべてが、その個人生活、事業生活および社会生活に常に奉仕の理想を適用すること;
第4 奉仕の理想に結ばれた、事業と専門職務に携わる人の世界的親交によって、国際間の理解と親善と平和を推進すること。

 ロータリー100年の歴史の中で、時代やその背景の変化にともなって、定款や綱領の文言は変わってきました。そして、今後も変わっていくことでしょう。でも、そこには、決して変わることのない、100年間、脈々と受け継がれてきたロータリーの精神があります。

引用文献 『ロータリー日本五十年史』『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』

『ロータリーの友』2004年9月号から
 
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