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ロータリーの新しい風
 
ロータリーに女性が入会
 
1995年国際協議会でポーズをとる、1995-96年度ハーバート・ブラウンRI会長エレクトと、
1995-96年度に彼のリーダーシップ・チームで任務に就いた、初の女性ガバナーのグループ。

ロータリアンの配偶者として

 ロータリーは、ポール・ハリスと3人の友人、すなわち4人の男性で始められました。この組織に女性会員が加わるのはずっと後のことですが、創立当初は誰ひとり女性会員の存在を考えなかったに違いありません。当時は、アメリカにおいても、女性の社会進出がそれほど進んでいたわけではありませんから。
 しかし、ロータリアンの夫人として、女性が果たしてきた役割は大きいものでした。1905年の創立当時、独身だったポール・ハリスは、1910年に結婚します。それ以降、その夫人ジーン・トンプソン・ハリスの存在は、ロータリアンの夫人たちの中でも特に大きいものとなりました。彼女は、ロータリアンとその夫人たちに自宅を開放し、お互いに打ち解けるようにしました。そして、夫人たちの間で生まれた連帯感と奉仕の精神によって、夫人たちも一緒に奉仕をするようになっていきました。 また、ジーン夫人は、ロータリアンの夫人たちに「ご主人のロータリーの活動を奨励してください。ご主人方は、例会から帰宅される度に、よりすばらしい男性に成長しているはずです。ロータリーには、会員が向上しようとする高い理想があるのです」と話していました。

女性ロータリアン 賛成? 反対?
 女性が配偶者としてだけではなく、ロータリーに入会ができるようにという話は度々議論されました。しかし、その実現には予期せぬ出来事が起こったのです。
 『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』によると、

 1978年にカリフォルニア州デゥアルテ・ロータリー・クラブは、定款に真っ向から違反して、3名の女性を会員として受け入れた。国際ロータリーは同クラブの認証を取り消し、これがクラブと3名の女性による訴訟事件に発展した。訴訟はカリフォルニア州と他の39州で市民的権利に関する法律に盛り込まれたウンルーの判例を拠り所としていた。簡単に言えば、事業体が性別、人種、皮膚の色、宗教、出身国などを基に差別したりサービス提供を拒否したりできないようにするものである。原告側は事業体を「一般に大衆に開かれたもの」と広範に定義した1件の判例を基に、ロータリー・クラブは事業体と同じ分類に属すると主張した。
 デゥアルテ事件に先立ち、他の多くのロータリー・クラブはロータリーの議会である規定審議会に女性の入会を許可するよう定款改正を求める立法案を送っていた。規定審議会は3年に1度開かれ、世界から各地区一人の議決権を持つ代表委員が集まる名実ともに民主的な議会であり、これらの代表委員はクラブから選出された人物である。1970年代と1980年代に開かれた各規定審議会では、女性入会のための改正を可決する方向に次第に票が集まるようになった。
 1980年にジェームス L. ボーマー会長の下でRI理事会が改正案を支持したが、僅差で否決に終わった。「シンガポールで開催される1989年規定審議会では、女性の入会を認める決議案が通過することを疑わない」と著名な弁護士でペンシルベニア州法曹会元会長のチャールズ C. ケラー元RI会長は述べた。
 しかし、この決定はロータリーの手を離れた。
 裁判の勝放はピンポン玉のように一方が勝ったと思えば他方が勝ち、そのたびに敗訴側が上訴した。女性クラブを含む他の奉仕団体は、ロータリーの立場を支持する法定助言者として趣意書を提出した。
 1987年5月4日、7対0で米国最高裁判所は国際ロータリーに不利な判決を下した。裁判所は、ロータリー・クラブは公共施設法的審査の規定に則して事業目的があるという点でデゥアルテ側に同意し、米国内で国際ロータリーは女性を入会させたという理由だけでクラブの認証を取り消すことはできないという判決を下した。RI理事会は男女の平等な処遇が法律で明らかに義務付けられている国では、会員を男性に限定する規定を執行しないという措置をとった。1989年の規定審議会で理事会はRIの定款文書から「男性」という言葉を削除する制定案を提示し、これが採択された。
 最高裁の判決は世界各地で大見出しで報道された。ロータリーもこれで終わりという予測が口にされたにもかかわらず、ロータリーは前進し続けた。一部のクラブには今でも女性会員が一人もいない。一方、台湾やアルゼンチンのような国には、会員が全員女性のロータリー・クラブもある。北米では女性がすみやかにクラブに同化し、他の国もそれに続いた。反対派の言い掛かりとは裏腹に、入会した女性は、既婚男性を盗む妖婦ではなく、銀行家、店主、コンピュータ企業の上級管理職、校長、弁護士等であった。彼女らは熱心に活動し、ロータリーの財政と親睦の両面に大きく貢献した。そのうちに、女性のクラブ会長や地区ガバナーが誕生し、以前人種や民族的背景の異なる会員がロータリーに一つに溶け込んでいったように、今日の女性会員はただ「ロータリアン」と呼ばれている。

 と、その経過が書かれています。ちょうどこのころ、女性会員の賛否に関する記事が『THE ROTARIAN』や『ロータリーの友』誌上をにぎわせました。

1989年 正式に入会が認められた
 そして、1989年、シンガポールで開催された規定審議会で、女性会員の入会が審議され、その結果、正式に女性の入会が認められるようになりました。この結果を踏まえ、日本にもすぐに女性会員が誕生しました。第250地区(現在の第2500地区)・北海道清水(現在の清水)RCの松田郁子氏です。
 その後、女性会員は確実に増え続け、今や世界で約14万人の女性会員がいます。その割合は、会員の12%を超えるまでに至りました。日本では、女性会員の比率は約3%と、全世界の平均から見るとまだ少ないのですが、確実に増えてきています。
 現在では、女性会員がクラブ会長を務めるクラブも増えました。地区委員やガバナーに就任する女性もたくさんいます。2005-06年度は、隣の韓国に初めて女性のガバナーが誕生します。また、1996-97年度ルイス・ビセンテ・ジアイ国際ロータリー会長の夫人、セリア・ジアイ氏がガバナーに就任します。また、パストガバナーの夫人がガバナーになるという例もあります。

 カール・ヴィルヘルム・ステンハマー国際ロータリー(RI)会長エレクトは、2005年2月に開催された国際協議会の講演で、

 2005-06年度は、女性会員が適切に扱われる年度にしましょう。私たちはしばしば、この組織は120万人の会員から構成されていて、そのうち女性会員は14万4,000人であるという言い方をします。なぜこのような言い方をするのでしょうか。当組織について適切に話すのであれば、「当組織は120万人のロータリアンから構成されている」だけで十分です。

と述べ、男性、女性の区別をすることのないよう呼びかけました。さらに、新年度にはロータリー財団管理委員に初めて女性が就任すること、RIのその他の主要ポストに女性を起用したことを発表し、

 これらの女性たちが任命を受けたのは、女性だからではなく、その才能に基づくものであるということを心によく刻んでくださるようお願いします。ロータリアンの男女比からすると、適切な比率ではない女性が、私の年度に任命されることを私は認めます。しかし、こうすることによって、女性ロータリアンおよびまだロータリアンでない女性に対し、私はメッセージを送ろうとしているのです。すなわち、私たちの組織ではあなた方女性も指導的役職に就くのだ、ということです。さらに、事業にかかわるものとして、私は、この行為を長期的利益をもたらす短期的投資である、と考えます。

と、付け加えました。そして、そこに参加していたガバナーエレクトに対しては、

 まだロータリアンとなっていない女性指導者を探し、入会を勧めることができます。女性会員をクラブ会長として擁立するよう地区のロータリアンに奨励することもできます。また、クラブ会長を経験した女性をみなさんのようなガバナーとして擁立するようロータリアンに奨励し、パストガバナーである女性がRI理事となるよう取り計らうことができます。一度これが実現すれば、初の女性のRI会長誕生への扉が開かれるのです。その日がくるならば、ロータリーの歴史上、なんと輝かしい日となることでしょう。

と語っています。これはガバナーエレクトだけでなく、ロータリアン全員へのメッセージであったでしょう。

 ロータリー100周年を記念して、ロータリーの誕生から、さまざまな視点で最初の1世紀を振り返ってきました。今、100周年の年度が終わりを告げ、奉仕の第2世紀が始まろうとしています。ロータリーの新しい世紀に、歴史を書き加えるのは、今ロータリアンである皆さま一人ひとりです。100年後、そのときのロータリアンは、皆さまの活動とその成果をどのように書きつづるのでしょうか。

引用・参考文献 
デイビッド C.フォワード 菅野多利雄日本語訳監修『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』2004年
『ロータリーの友』2004年5月号など

『ロータリーの友』2005年6月号から
 
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