フィリピンで最初のポリオワクチン接種活動
国際ロータリー(RI)の1978年4~5月の理事会は、「保健、飢餓追放および人間尊重補助金プログラム(Health, Hunger and Humanity Program)」、いわゆる3-Hプログラムを設立し、これは1979-80年度にロータリー財団に引き継がれました。このプログラムの目的は、国際間の理解、親善および平和を推進するための方法として、人々の健康状態を改善し、飢餓を救済し、人間的社会的向上発展をはかることにあります。
1979年の初め、フィリピンのザビノ・サントスパストガバナー(1970-71年度)が、RIにポリオ免疫接種事業を行ってくれるように、という手紙を出したのです。ポリオ予防ワクチンの必要性、国内外の諸機関の協力、ロータリアンおよびロータリークラブの協力などが考慮された結果、フィリピンは、3-Hプログラムによる、最初の大規模免疫接種活動をするのに適切であると、認められました。
その結果、1979年9月、生後3か月から36か月の子ども約600万人に対して、5年計画のポリオ免疫接種活動が始まりました。そして、この活動が、RIが取り組んだ最初のポリオ撲滅活動となったのです。
RIの本格的取り組みに先駆けた日本の活動
1981年、第258地区(現、第2580地区)の東京麹町ロータリークラブ(RC)は、「3-Hプログラム」の「インドはしか免疫プロジェクト」に参加した経験がありました。同クラブでは、クラブ設立15周年事業として1982-83年度、南インドにポリオワクチンを送り、地元のロータリアンと協力して、子どもたちをポリオから救うことを計画したのです。
この計画は、第258地区と第275地区(現、第2750地区)の賛同を得て、2つの地区の世界社会奉仕(WCS)プロジェクトへと発展しました。ロータリー財団からは「すばらしい計画であり、感謝する」と評価されています。
「ポリオ2005」の誕生
1982年2月のRI理事会で、「ロータリークラブおよび地区が、保健、飢餓追放および人間尊重プログラム、世界社会奉仕計画、社会奉仕活動を通じて、世界中の子どもたちに伝染病に対する免疫接種を、適切な国際的、全国的、あるいは各地の保健機関と協力のもとに継続させることを奨励し、西暦2005年に国際ロータリーの100年祭を迎えるまでに、全世界の児童をポリオから守る免疫接種を完了させることを目標とする」旨を決議しました。
これを受けて、1984-85年度、カルロス・カンセコRI会長(当時)は、この目標達成の方法をはかるポリオ2005委員会を任命、1984年11月の理事会で同委員会からのポリオに関する報告を受理、全世界的規模でのRIのポリオ撲滅活動が動き出しました。
1985年2月、ロータリー創始80周年に当たって、RIは、ポリオ・プラス計画を発表しました。プラスとは、はしか、ジフテリア、破傷風、百日咳、結核の5つの病気を指します。ポリオだけではなく、これらの病気も含め予防接種も実施することとなり、ポリオ・プラス計画と改称されたのです。
目標を上回る募金を達成
日本国内では、募金総額40億円を最終目標として、1986年7月から、日本ポリオ・プラス委員会により、5年計画のポリオ・プラスの募金キャンペーンが始まりました。各クラブや地区での積極的な取り組みのおかげで、このキャンペーンが展開されていた1986年7月から1991年6月までの5年間で、目標額をはるかに超える約49億円の寄付金を集めることができました。
RIでは、1989年6月までの3年間をキャンペーン期間としていましたが、日本では5年計画を立てました。結果的には、5年間と見込んでしっかりとスケジュールを組んでいた日本のキャンペーン活動は成功で、非常に高い実績を上げています。RIでは、1988-89年度までの3年間で米貨2億4,700万ドルを集めました。これは目標額の2倍に相当します。
多くの日本人がポリオワクチンを届ける
ロータリー財団では、WHOやUNICEFと綿密に連携し、集まった尊いお金をもとに、世界各地でポリオワクチンの投与を実施しています。しかしながら、ポリオワクチンの投与は、やさしいことではありません。宗教や紛争などの要因により、思うように事が運ばない場合も多々あります。ポリオワクチンを届けようとして、紛争に巻き込まれて亡くなった例もあります。
日本のロータリーとしては、1994年に非ロータリー国である中国で、ポリオワクチン一斉投与を実施しました。また、1995年、第2650地区(福井・滋賀・京都・奈良県)はWCS(世界社会奉仕)の活動の一環として、カンボジアでワクチン一斉投与を行いました。この時はロータリー財団から30万米ドル、地区からは10万米ドルを拠出しています。
同地区では、この活動を皮切りに、幼児たちのためのワクチン一斉投与を、1996年・モンゴルで、1997年・ネパールで、1998年・ラオスで、1999年・ベトナムで、2000年・中国/ミャンマー国境で、2001年・バヌアツで、2002年・ミャンマーで、2003年・カンボジアで、2004年・ラオスで、今年2005年はパプアニューギニアでと、11年間にわたって活動を続けてきました。
その後、第2640地区、第2830地区など日本の多くの地区や、また、ロータリアンがポリオワクチン投与のために多くの国々へ出かけています。
これらの中には、ローターアクター(ローターアクトクラブ会員)が、参加した例もあります。
次々にポリオ撲滅宣言
最初にポリオの絶滅が宣言されたのは汎米(北・中・南米)地域。1994年のことでした。次いで、世界で2番目、2000年、WHOにより西太平洋地域での「ポリオ根絶宣言」が出されました。「西太平洋地域ポリオ根絶京都会議」――この輝かしい宣言は「京都宣言」として発表されています。
この「京都宣言」が大きく報じられたために、日本のロータリアンの中には、ポリオは終わったとの誤解が生まれているようです。京都宣言に続き、2002年、ヨーロッパ地域での撲滅宣言が出されていますが、これまで出された宣言は特定の地域での撲滅宣言であり、地球上すべての地域で、ポリオが撲滅されたわけではありません。
ポリオ撲滅活動の最終段階
100周年を記念して、2005年6月に開催されるシカゴ国際大会で、ポリオ撲滅宣言を出すために、国際ロータリーは、2002-03年度に「約束を守ろう、ポリオをなくそう」を合言葉に、「ポリオ撲滅募金キャンペーン」(PEFC)を実施しました。目標募金額は、8,000万米ドル。これには、現金、地区財団活動資金(DDF)、そして個人やクラブの3年間の誓約を含んでいます。
このRIの挑戦に呼応して、世界中の各クラブ、各地区では、今年度、新たな活動を展開しています。日本では、2005年の6月までの3年間で目標を達成するよう活動を続けています。
ポリオの撲滅は99%達成しましたが、ロータリアンをはじめとする多くの人々の努力にもかかわらず、残念ながら、6月に開催されるシカゴ国際大会で、100%撲滅宣言を出すことはできない状況になりました。人口の多いインドでは、外部からのさらなる資金援助を必要としています。アフガニスタンにおける内戦の悪化も挙げられます。パキスタンでは政情不安を抱え、国境を接しているアフガニスタンからウイルスが流入する恐れもあります。ナイジェリアでは、北部の州でワクチン投与が妨害されたために予定が大幅に遅れ、一度ポリオの撲滅を宣言した近隣諸国にポリオウイルスが再び広がりを見せています。
RI国際ポリオ・プラス委員会委員長ウィリアム・サージェント氏は、「第2の恐ろしい病気が消滅すれば、発展途上国でほかの公衆保健事業に何億ドルもの投資ができます。発祥場所を正確に把握し、さまざまな病気群の存在を特定するために利用される研究所間のネットワークは、世界中で受け継がれています。また、世界は、歴史上最大規模の公衆衛生運動から貴重な教訓を得ることでしょう」と、『THE ROTARIAN』の編集者の「長い目で見たとき、ポリオ撲滅がもつ意味はどのようなものでしょうか」という質問に答えて述べています。
『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』によれば、経口ポリオ・ワクチンの生みの親である故アルバート・セーピン博士はかつてロータリアンに、「1985年にポリオ・プラスを開始していなければ、ロータリー創立100周年の2005年にはポリオ患者が800万人に増加しており、おそらくその期間中に80万人がポリオで死亡していたことでしょう」と語っています。
ロータリアンが取り組んだポリオ撲滅活動によって、ポリオの発症例は大幅に減少しました。でも、ロータリーが掲げた目標が達成されたわけではありません。100%ポリオが撲滅したという宣言を出すその日まで、ロータリアンとポリオの闘いが終わることはありません。
「約束を守ろう、ポリオをなくそう」
*本稿は、『ロータリーの友』2003年5月号横組みP30~33「ロータリー ポリオとの闘いの日々」をもとにその後の状況を加筆したものです。
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